メディアは嘘をつく@Tゼミ

T先生の自主ゼミ

パブリックアクセスのことやメディアに深く精通しているT先生。

T先生はとても気さくで、いろんな面でオシャレで、ブ厚いおじさんって感じ。

俺みたいなミジンコのミジンコ以下の話も耳を傾けてくれる。

毎回コーヒーをゴリゴリと豆からひいて入れてくださる。


ゴリゴリゴリゴリ♪


作ってるのを見ると、なんだか不思議と癒される。


ゴリゴリゴリゴリ♪


手作りでコーヒー入れるって、素敵。

T先生と3人の院生と僕の4人でコーヒーを飲みながら、

毎回交代でテーマを持ち寄り、週に一回のディスカッションをする。

この時間はいつも刺激的で、毎週楽しみだ。




今日のテーマは、

森達也、そのドキュメンタリー論或いは思想」

という

僕があまりよく知らない人の文献のサマリーから始まった。

話は、「客観性」、「やらせ」の話に落ち着く。

表現する時点で、制作者の意図で選択する行為だから、

映像だけに限らず、表現行為が完全に客観的になることはない。


と思う(笑


断言できる程勉強してないもので、あえて「と思う」と言っておく。

ココで言い切る勇気もほしいとこなんですけどね(笑


報道の中で、「客観性」とか「やらせ」とか


めちゃめちゃ議論されてる。


いったい


「客観報道」

「やらせ」


ってなんだ?


いつから言われるようになったんだろ?

T先生は、

過去の客観報道と現在の客観報道の変化

このことをしっかり調べた上で話すこと

立体的に整理するように

といっていた。

確かに。

今の状況を理解するのに見るべきとこは、

やっぱ過去。

そして整理。

それでも、

客観的にならない。

あくまで、自己主張が強くなるだけ。

ただ、そのことについて自分が納得したい。

着地地点が見えそうで、さまよう今日この頃。



今日話題になった本


ドキュメンタリーは嘘をつく

ドキュメンタリーは嘘をつく